人事の最前線から介護離職、そして起業へ。宇田川氏に聞く「メスライオン」の原点とこれから【後編】

株式会社Cuore
代表取締役
宇田川 奈津紀 氏
うたがわ・なつき/大学卒業後、大手旅客サービスの乗務員として入社。その後、大手人材会社にて営業として勤務。ヘッドハントにより大手介護会社へ移籍するも2年後に解散により退職。その後、IT企業へ人事として転職。人事責任者として中小企業から4000名近いメガベンチャーを経験。人事部長としてダイレクトリクルーティングをはじめとする採用戦略設計と構築、採用ブランディングを管轄。2020年9月に株式会社Cuore(クオーレ)を創業。代表取締役として就任。現在は、IT企業を中心に新卒・中途採用支援や採用ブランディングのコンサルに従事する傍らダイレクトリクルーティングのプロダクトアドバイスや年間約1500名以上の経営者や人事が受講した人事向けセミナーの講師を勤める。

宇田川氏に聞く「メスライオン」の原点とこれから

今回は一撃必殺の「メスライオン」の異名を持つ宇田川奈津紀氏にインタビューをおこなった。IT企業の人事として数々の採用実績を生み出したのちに株式会社ネオキャリアへ入社した宇田川氏だが、介護をきっかけに同社を退職している。「介護離職をきっかけにキャリアへの価値観が180°変わった」と語る宇田川氏に、これまでのキャリアと起業への想いについて話を聞いた。

前編では人事を志すようになったきっかけと、その後人事として大きな成果を残し「メスライオン」と呼ばれるようになるまでのキャリアについて話を聞いた。後編ではネオキャリアへ転職した後の介護離職の経験、そして起業へ至った経緯を紐解いていく。

ネオキャリア、そして介護離職を経験

人事向けにスカウトメールや採用戦略に関するセミナーに登壇することが増えていく中で、採用や人事のキャリアに悩みを抱えている人事の方々にもっと価値提供したいと思うようになったという。そして2018年、宇田川氏は株式会社ネオキャリアへ飛び込んだ。

「ネオキャリアでは人材戦略本部 兼 代表直属特命採用責任者というポジションで、4000名近い規模の会社の中途採用専門セクションの立ち上げを中心に、セミナー登壇を含めた様々なお仕事をさせてもらっていました。ネオキャリアでは自分のビジョンを実現しながら、もっとこの会社の魅力を発信したいと思いながら働いていました」

しかし、2019年に宇田川氏はネオキャリアを離れることになる。そのきっかけは、父が脳梗塞で倒れたことだった。

「ある日仕事から家に帰ったら、父が脳梗塞で倒れていたんです。急いで救急車を呼んでなんとか一命は取り留めて、その後は会社と病院を往復する日々が1年半続きました。面会時間がある日中は仕事が入っているため行けません。なので出社前や退勤後、病院に通ってナースステーションの方に着替えやご飯を持って行っていました」

宇田川氏はその生活の中で、仕事をしたいという思いと父親のそばにいて介護したいという思い、二つの思いを抱えながら葛藤していた。

「私の中に『がむしゃらに仕事をしたい自分』と『父親の傍で寄り添い助けたい自分』、二つの自分がいました。会社は私の状況に対して寄り添ってくれていましたが、急成長を続ける企業で働いているにも関わらず、全力を出し切れていないことに自分自身が罪悪感を感じていました」

「しかしある日、父の容体が再び悪化したとき、自分自身が働きたいがために父親をずっと病院へ入院させ続けているのは自分のエゴだと思って。自分を育ててくれた親を犠牲にして自分のやりがいのためだけに働くのはもうしたくない、そしてこのままでは会社の成長に対して自分が足を引っ張ってしまうことになると感じ退職しました。父の病気がなければきっと私はずっとネオキャリアにいたと思います。経営陣も社員も皆が前向きに働いているとても素敵な会社でしたから」

「ワークワークバランス」から「ワークライフバランス」へ

突然降りかかってきた家族の病によって介護離職、キャリアから一線を退くことになった宇田川氏。その後の介護生活では「燃え尽き症候群のようになってしまっていた」という。

「中途採用セクションのゼロからの立ち上げと同時に、人事セミナーで全国を周りながら日本中の人事の方々とお話する日々の中で、アドレナリンを出しながら働いていました。ですが介護生活では父のお世話や料理をしたりして、自分の世界がどんどん小さくなっていくような気がしていました。自分の人生の中でこんなに長い時間を父と過ごせることはなかったので、そばにいることができるのはもちろん嬉しかったのですが、仕事と介護生活とのギャップがあまりにも大きくて。自分で決断したことにも関わらず、持ち前のパワフルさを失ってしまっていました。そしてそんな私の姿を見て父が心配していたことにも申し訳なさを感じていました」

そんなとき、「週に1回だけでも構わない。数時間だけでもいい! ウチの会社の人事部を一緒に強くしてほしい」という言葉とともに、昔から親しくしていた人事の友人やセミナーを通して知り合った人事の方々から依頼がいくつか舞い込んできたという。

「採用のスペシャリストの育成、ダイレクトリクルーティングの内製強化、採用面談や面接のコーチング、求人のヒアリング方法やアドバイス、採用イベントの企画の骨子の作成など、『少しの時間でもいいから、メスライオンの力が必要なんだ!』と人事の方々からお声がけをいただきました。そしてそれらの仕事と介護生活をうまく組み合わせることで、もしかしたら介護と仕事のバランスをうまく保ちながら、自身の働くという生きがいを失わずに生きていけるのではないかと思いました」

また父親の介護を兄弟で分担するなど家族の協力も得られ、宇田川氏は少しずつ仕事に復帰できるようになった。

「一度は父親の介護のためだけに生きていこうと決断した自分が、もう一度仕事というやりがいを得られるようになったのは、私にメスライオンとして復活してほしいと声をかけてくれた人事の方々と、そして私が働くことを認めて協力してくれる家族のおかげだと感じています」

「今まで私は仕事一筋。『ワークワークバランス』の人間でした。それが心地良かったんです。しかし今は、いろいろな人への恩返しのために、仕事を通して目の前の課題解決に貢献しながら、家族の介護のために自分の時間を使う、そういった『ワークライフバランス』を大切にしようと考えが大きく変化しました」

自分のような思いをする人を減らしたい

宇田川氏は2020年9月に株式会社Cuore(クオーレ)を設立した。その背景には、自らの介護離職の経験を踏まえて「自分のような思いをする人を少しでも減らしたい」という思いがある。

「私はたまたまメスライオンという名前が広まっていて、過去に経営者の方から様々な知識を教えていただいたからこそ、介護離職をした後も声をかけてもらい、働く時間を選びながら仕事ができています。でも日本全体を見てみると、そのような働き方ができる場所を得られる人はまだまだ少ないのが現状です。あと5年も経たないうちに日本の介護問題はもっと身近な問題になってくると思っています。その事実を考えたときに、そのまま見過ごすことはできない…自分だけが良ければそれでいい、そういう考え方は違うなと感じました」

起業を通して宇田川氏が挑戦したいことは3つあるという。

1:多様な働き方の提案

「1つ目が、企業へ向けて多様な働き方ができる仕組みを提案することです。自身が採用コンサルとして企業の中に入りながら日々直面している問題は、必要な人材全てを従来の週5日勤務という正社員で雇用していくことの難しさです。会社の成長を止めずにその問題を解決するには、週1・2回勤務という働き方や、副業社員やフリーランスを受け入れなどを強化していくことが必要だと考えています。多様な働き方ができる仕組みを作っておくことで会社側は出産や育児、介護に伴う離職を防ぐことができます。そのような雇用の多様性を作ることで、働く側も働き方を選択しやすい世の中を作っていければと思っています」

2:人事スキルの教育

「2つ目が、人事スキルの向上です。育児や介護で離職せざるを得なくなったときに、採用の上流工程を経験していない方だと、業務委託で働こうとしても時間を切り売りするような働き方しかできなくなってしまいます。なのでAll Personalの堀尾さんと共同で、日程調整やスカウトの仕事はやったことあるけど上流工程は経験したことがない人事の方向けに、副業を通して上流工程の学びながらスキルアップができる事業を展開しています」

3:人事採用力の強化

「3つ目が、人事採用力の強化です。コロナの影響もあり採用要件の見直しがはじまり、より難易度が高まってきていることをコンサルに入らせていただいている企業で体感しています。従来の採用手法にとらわれず人事自らがアクションをかけていく方法、そしてその会社に合ったその会社独自の採用方法を企業の人事の方と並走しながら作り上げていきたいと思っています」

一緒に暮らしている家族に何かがあったときでもやり甲斐を失わずに働ける体制と、企業の人事が採用力を高め会社が成長し続けていける状態、ともに実現できる社会を目指し全面的に支援をしていくという。

「働き始めてから今までを振り返ると、どんなときでも自分ができることを徹底的にやろうという思いで働いていました。私は決して器用な人間ではありません。人よりも時間をかけながら泥臭くやっているうちに、1つ成功体験を積んで、出来たと思ったらまた別のところで躓いて、それを繰り返しながら自分のキャリアを作ってきました。そしてその中で、たくさんの人が自分を引き上げてくれたからこそ今の私があると思っています」

「そして今、私のキャリア人生の第一章がサラリーマン時代だとすると、経営者としての第二章はまだ開けたばかりです。これからは今まで積んできた自分の人事に関する知識や経験を若い人に少しでもお渡しして、社会に返していきたいと思います」