株式会社マイナビ
「マイナビ転職」編集長
瀧川 さおり氏
たきがわ・さおり/新聞社、メーカーの企画部門などを経て、2004年にITサービス、翌年にオーガニック製品の会社設立に携わり、2社の役員を兼務。マイナビ入社後は大手企業専属チームにて中途採用や採用ブランディングなどを支援。サービス企画やtoB向けマーケティング企画部門を経て2021年にサイト運営部門に配属。2024年より総合転職情報サイト『マイナビ転職』の編集長へ就任。マイナビ転職公式YouTubeチャンネルや企業向けオンラインセミナーなどで転職や中途採用市場に関する情報を配信中。
株式会社マイナビは2024年6月より、求職者の給与アップと企業の賃上げを応援するプロジェクト「給与アップ応援宣言」を実施している。その一環として、給与アップを行った企業、これから実施していく予定の企業から「給与アップ努力宣言企業」を募り、1,132社が賛同した。そこで今回は、マイナビ転職編集長・瀧川氏にインタビュー。プロジェクト実施の背景や、賃上げに必要な要素などについて伺った。
中小の82.9%が賃上げを実施するも、大手との賃金差は埋まらず
物価高への対応や生産性向上を目指し、政府は企業に対して賃上げを行うよう強く働きかけている。そうした取り組みが実を結び、近年は大企業を中心に賃上げの動きが相次いだ。
厚生労働省が発表する毎月勤労統計調査(速報)によると、2024年9月の1人あたりの現金給与総額(名目)は29万2551円と、前年同月比で33カ月連続増加を達成している。
「しかし、物価変動を考慮した実質賃金を見てみると、2022年3月〜2024年5月までの間で26カ月連続マイナス。名目賃金は上がっているのに、多くの人は賃金アップによる生活水準の向上を実感できていないのが実情です」
瀧川氏は「実質賃金が低迷しているのには社会保険料の国民負担率の上昇、退職金の減少、物価の高騰などさまざまな要因がある」と語る。
1975年時点で25.7%だった社会保険料の国民負担率は、2024年には45.1%と所得の約半分にまで上昇。退職金についても、1997年の2,871万円をピークに減少し、現在はピーク時の3分の2ほどの金額となっている。さらにエネルギー価格や食料価格の高騰が追い討ちとなり、実質賃金の回復がなかなか進まない。
「近年の転職市場はそうした世相を反映し、給与アップや生活水準の改善を目的とした転職が増えている」と瀧川氏は指摘する。
「特に家庭を持ち始める30代で、生活苦を理由にした転職が増えている印象です。賃上げがしっかりできている企業/できていない企業の賃金差が広がるとともに、『この会社にずっといても、給料は上がらないかもしれない』と不安になる人が増え、より高い賃金を提示してくれる会社への人材移動が加速しています」
終身雇用が崩壊を迎え、年功序列をやめると宣言している企業も増えつつある。企業によって賃金格差が浮き彫りになってきた今、高い給与を求めて転職するのが当たり前になった。
雇用の流動性が増し、より高い賃金を提示できる大手企業や成長産業に人材が集まる一方、人材難の苦境に立たされているのが地方の中小企業だ。ひと昔前までは年功序列型賃金制度では賃金が少しづつ増えていくのが一般的だったが、現状では長く勤務していてもそれほど給与が上がらない。「先輩や上司を見ていても給与が上がる希望が持てない」という若手の声も増えているという。
「規模の大きな会社ほど人的資本経営に関するリテラシーが高く、企業の価値を高める優秀な人材を確保することの重要性を認識しています。一方、人的資本の情報開示が義務となっていない中小企業では『賃上げの必要性が分からない』『どこまで給与を上げていいのか判断できない』という声もまだまだ聞かれます。だからこそ、私たちのような人材会社が市場の給与相場含め、給与を軸にした採用成功ノウハウをきちんと発信する必要があると考えています」
一方で「中小企業が賃上げに取り組んでいない、というわけではない」と瀧川氏は続けた。東京商工リサーチがおこなった2024年度の賃上げ動向に関するアンケートによると、大手企業の94.0%、中小企業の82.9%が賃上げを実施している。しかし賃金の上昇率を比較すると、大手企業では定期昇給とベースアップ(ベア)を合わせて5.58%、中小企業では3.62%と、大手・中小の間には依然として差がある。
「問題なのは、中小企業の賃上げのうち6割近くが、業績の改善がみられないが賃上げする『防衛的な賃上げ』であること。すなわち、業績改善が伴った『前向きな賃上げ』ではなく、従業員の生活を守るための無理な賃上げになっているのです。それ自体は素晴らしいことではあるのですが、企業の負担を軽減することが重要な課題となっています」
そんな厳しい状況の中で、中小企業が持続的な賃上げを実施するにはどんなアクションが必要なのだろうか。瀧川氏は「①価格転嫁、②生産性向上、③優秀な人材の採用」の3つをポイントとして挙げた。
「賃上げによる人件費高騰に加え、原材料やエネルギー費といった原価の値上がりも起こる中、中小企業が生き残るためには発注先と粘り強く価格交渉を行うことが求められます。
継続的な賃上げに成功されている企業を見てみると、見積もりを出す際に『この項目にかかる製造原価やエネルギー費用が、これくらい上がっています』と細かく情報を伝えています。もちろん、取引を止められてしまうのではないかという不安もあるかと思いますが、先延ばしすればするほど、経営に長期的な影響が出ます。企業を存続させる上で価格転嫁による業績改善は必須のアクションです」
「AIやIT活用、設備投資による業務改善も並行して求められます。採用が年々難しくなる今は、働く時間を増やさない前提で、会社のパフォーマンスを向上させることが重要です。補助金なども含めて国の支援も年々手厚くなっているので、そうした制度も積極的に活用してみてください」
「会社の競争力の源泉はやはり人。優秀な人材に来ていただくためには、給与面も含めて企業の魅力をきちんと認知してもらうことが必要です。マイナビ転職の調査では、求人の給与を改善すると、企業の採用率が20.7%向上するというデータもあります。
ただし、大幅な賃上げができていない企業でも、給与表記を工夫することで採用率が変わることもあります。例えば、求人では月給24万円〜と記載していたけれど、実際に採用するときには月給25万円を提示した、というケースはよくありますよね。そうした情報をきちんと求人へ反映するだけでも、応募率や定着率が改善したりするんです」
「採用→生産性向上→業績アップ→賃上げ」のサイクルはいわば鶏と卵。どこから始めればいいのか悩む経営者も多いだろう。しかしこれらに同時並行で取り組まない限り、企業競争力は低下し、今後の成長は難しくなってしまう。
賃上げに挑戦する会社にフォーカスを当て、求職者と企業の双方を支援
こうした時代の流れを受けて、マイナビ転職は2024年6月、求職者の給与アップと企業の賃上げを応援するプロジェクト「給与アップ応援宣言」を発表した。その一環として、給与アップを実施している、またはこれから給与アップを目指す企業を募り、「給与アップ努力宣言企業」として特設サイト上で紹介する企画を実施。1,132社が賛同を表明したという同プロジェクトの反響を聞いた。
「賛同企業の26.4%が採用競争の激しい東京エリアの企業であり、東京を含む関東圏の企業は40%弱ほど。さらに中国・四国地方など、人手不足で採用に苦戦しているエリアの企業にも多く参加いただきました。また、今回の能登半島地震で被害を受けた北陸信越エリアからは約70社エントリーをいただき、復興にかける志の強さを感じました」
業種別では、建設・介護・製造・飲食・観光・ 販売など、特に人手不足が深刻な業界からのエントリーが多かったとのこと。
実際に賃上げを実施した企業からは「従業員のモチベーションがアップした」「優秀な人材の定着につながった」「会社の求人に興味を持ってくれる人が増えた」などのコメントが寄せられた。また、SNSでは人材業界が賃上げを応援することへの意義深さや、賃上げを表明する企業への応援など、ポジティブな反応も多かったという。
「給与アップ実現の方法は、ベースアップや成果に応じたボーナス、手当の拡充までさまざま。中には、奨学金を返済している社員さん向けに新たな制度を作った会社もありました。賃上げに挑戦する会社さんにフォーカスを当てる『給与アップ努力宣言』の取り組みによって、求職者と企業の双方をサポートできたのではないかと思っています」
よりよい未来を目指す企業を増やし、誰もが働きやすい社会へ
「給与アップ応援宣言」プロジェクトでは、求職者の給与アップと企業の賃上げを応援する企画が複数進行中だ。その中の一つである「マイナビ転職 BEST VALUE AWARD」は、人手不足や実質賃金低迷といった社会課題解決にチャレンジする企業を表彰するイベントとなっている。
「本年は『給与アップ』『 働き方』『キャリア支援』の3テーマで取り組みを募集しています。未来へ向けて努力する会社を表彰し、その成功ノウハウを多くの企業に展開することで、より働きやすく、社会に価値をもたらす企業を少しでも増やしていきたいです」
そのほかにも、人事・経営者向けの採用・人事ノウハウを掲載するメディア「サポネット」での情報発信や、クローズドコミュニティでのワークショップなど、さまざまな方向から企業の成長支援を行う。
「現在は実質賃金の向上というテーマで取り組んでいますが、それ以外にも日本社会にはさまざまな『見えない壁』が存在します。例えば、男女の賃金格差や、障がいを持つ方、高齢者の方、外国人の方に対するアンコンシャス・バイアスなどです。これらの壁を取り払い、誰もが幸せに働ける社会づくりに貢献したいですね」
最後に瀧川氏は「もちろん、企業の魅力は賃金だけではありません」と強調した。成長実感の有無や働き方の自由度、自分のやりたい仕事ができるかどうかなど、人によって重視するポイントはさまざまだ。
「企業成長に重要なのは、働き手がモチベーション高く、いきいきと活躍できる環境を用意すること。そうした企業を増やすべく、これからもサポートを続けていければと思います」
(鈴木智華)