人的資本開示、どう進めればいい? 全企業が今からデータ収集しておくべき理由

株式会社コトラ
(左)代表取締役
大西 利佳子 氏
おおにし・りかこ/慶應義塾大学経済学部卒業後、日本長期信用銀行に入行。長銀証券に出向しマーケット業務従事後、事業法人担当として、融資、金融商品アレンジ業務などを担当。新生銀行になってからは、事業法人本部にて営業企画業務に従事。2002年10月株式会社コトラ設立、代表取締役就任。

(右)ディレクター
杉江 幸一郎 氏
すぎえ・こういちろう/東京大学経済学部経営学科卒。大手メーカー、通信事業者、IT 企業など上場事業会社にて経営企画、事業戦略、新規事業立ち上げ等の責任者を歴任。上場企業取締役、CISOおよびISO事務局等も担当。コトラではISO30414を始めとした人的資本経営のコンサルティングに従事。ISO30414リードコンサルタント。

近年急速に注目が高まっている人的資本経営。2022年は政府が開示のガイドラインを公表し、有価証券報告書における人的資本開示の義務化を発表するなど、「人的資本経営元年」と言われる年になった。企業各社は対応に迫られているが、新しく生まれた概念のため何から始めていいのか迷う人も多い。今回は人的資本経営のコンサルティングを行う株式会社コトラに、この流れが生まれた背景や現状の課題、開示のポイントについて話を伺った。

なぜ急速に人的資本開示が推進されているのか

まず初めに、日本で人的資本開示が進められている背景について把握しておく必要がある。大西氏いわく、この流れが生まれた背景には、欧米と日本それぞれの潮流が関係しているという。

大西氏「まず、欧州では2015年に『SDGs(持続可能な開発目標)』が採択されて以来、SDGsへの取り組みを企業活動としてどう表現・評価すべきか議論されてきました。こうして生まれたのが『ESG』と呼ばれる概念です。投資家はESGに基づいて投資を行おうという流れが生まれ、それにともなって企業はESG経営とそれをアピールするための取り組みを行う必要が生まれました」

ESGとは

Environment(環境)、Social(社会)、Governance(企業統治)を考慮した投資活動や経営・事業活動を指す。SDGsが目標であるのに対し、ESGはその目標を達成するための手段といえる。

大西氏「一方アメリカでは、2001年にエンロン事件と呼ばれる巨額不正会計事件が起きてから、人的資本開示の流れが生まれました。財務諸表だけを重視して企業価値を測っていては未来の予測が難しく、突然大きな損失が発生するリスクがあるとの認識が生まれたのです。こうして財務諸表だけでは分からない情報を補完する、非財務情報の重要性が高まりました。

人的資本の注目度が世界的に高まっているのは、ESGのSocial(社会)の部分に非常に大きなインパクトを与えるのが人材であるからだといえます」

そんな欧米の考え方が、近年急速に日本にも入り込んできた。日本ではさらに、労働法と産業構造の関係性も影響して人的資本開示の流れが複雑になっている。

大西氏「日本の労働法は、基本的に製造業を想定した法律になっています。しかし産業構造は時代とともにどんどん変わっていて、今や製造業以外のサービス業や知的産業が広がりを見せていますよね。つまり『人』に重きを置く産業が増えてきているのです。人材が事業に与えるインパクトは産業によって大きく異なるので、法律や投資のあり方も新時代に合わせて変えていく必要があります。

このような日本独自の課題感と欧米から来た考え方とが混ざり合い、人的資本という言葉でまとめられているのが現状です」

さまざまな機関から開示を求められ、企業は混乱している

一概に「人的資本」といっても、そこに含まれる情報は多岐にわたる。管轄している省庁や紐づけられている法律も異なるので、すべてを把握することが難しいと大西氏は語る。

大西氏「人的資本に関する法律はいくつか存在します。ただ、それを管轄しているのが経済産業省、金融庁、厚生労働省などバラバラなんです。対象企業や開示しなければならない項目、記載する場所、記載方法、義務か任意かなども異なるので、企業は混乱してしまっている状況です」

最近では、2022年8月に政府が「人的資本可視化指針」を公表した。これは人的資本の可視化について重要な19項目を挙げ、企業がすべきこと、どんな項目を選ぶべきかなどを示したガイドラインだ。また2023年3月期からは、上場企業に対し有価証券報告書での「女性管理職比率」「男性育休取得率」「男女間賃金格差」「人材育成方針」「社内環境整備方針」の開示が義務化された。

杉江氏「この有価証券報告書での開示項目に関しては、Q&Aが出され開示方法が明確になったため、企業側も取り組み方についてある程度理解できたと思います。しかし『人的資本可視化指針』にあるその他の項目については、まだ詳細なルールがないためどこから手をつければいいのか迷っている企業も多いようです」

良くない数字が出てしまったとき、どう開示するか

有価証券報告書での開示義務は2023年3月期の決算からが対象となる。5月〜6月頃の公表に向け、企業各社は準備を進めている。数字を出すこと自体は難しくはない。企業が課題に感じているのは、世間的に望ましくない数字が出た際にどう公表すべきかという点だ。

杉江氏「今回開示を求められている『女性管理職比率』『男性育休取得率』『男女間賃金格差』の3項目に限ると、企業側がもっとも困っている項目は『男女間の賃金差』です。なぜかというと、正規雇用、非正規雇用というカテゴリー分けはあるものの、基本的には会社全体での男女間賃金差を出すことになっているからです。その書き方だと、サポートスタッフメンバーが多い企業などでは大きな差が出てしまうんですね。

企業側としては『同じ職種で比較すれば男女間の給与差はまったくない』と主張したいのですが、全体での比較だとどうしても差が出てしまう。そこで企業側は補足として明細を出すなど工夫しているわけですが、それもどこまで細かく書くかなど悩みどころが多いんですよね」

大西氏「さらに言えば、世間的に望ましくない数字が出たとして、その会社にとって望ましくないとは限らないわけです。例えば男女間で管理職比率や賃金に格差があったとして、企業側としては『男女関係なくふさわしい人を抜擢した結果だ』という主張もありえます。

ただ、そもそもなぜ情報開示が求められているかに立ち返れば、『いくら男女関係なく選んだと言っても、無意識にバイアスがかかっているのではないか』という懸念があるわけです。数字に出して見直した結果、やはりこの人選がベストだと確認できるかもしれないし、思い込みやイメージに固執していたことが分かるかもしれません。情報開示は、今までの人事が企業成長や日本全体の人的資本の向上に役立ってきたのかどうかを見直すきっかけになるはずです。

つまり、現状を把握し、会社としてあるべき姿を設定して、そのギャップをどう埋めていくかを表明することが人的資本開示のポイントなのだと思います。こうしたことを考えていくと多くの場合、経営理念や存在意義、自分たちの強みなど経営哲学的なところに立ち返ることになります。経営者の日頃の経営姿勢が問われるところではないでしょうか」

今後さらに開示対象が広がる可能性はある

さらに、今後に向けての対応も進めていく必要があると大西氏は語る。これから開示を求められる対象は項目・企業ともに増えていくと考えられるからだ。

大西氏「まず、現在開示を求められている項目は切り口の一つに過ぎません。例えば給与格差は男女間だけでなく、年代ごと・職種ごと・雇用形態ごとにもあるはずで、今後他の切り口で開示を求められる可能性があります。そのため、これからはデータの整備をきちんと行い、どんな切り口のデータを求められても出せる体制をつくることが求められます。それはすなわち、データドリブンな経営が重要になるということです。

また、今は開示義務がない会社も今後対象になる可能性があります。法律で義務付けられないとしても、社会的に要求されたり、あるいは積極的に公表することが評価されたりする世の中になるでしょう。そのため、大企業のみならずあらゆる会社でデータを取り整備していくことが大変重要だと考えています。 データ分析というのは現在の数値だけを見ればいいわけではなく、経年で分析することが大事です。したがって、早めにデータを蓄積・整理していくことが開示を進めていくポイントになりますね」

大西氏は、こうしたデータは「会社の姿見」だと語る。企業を理想の姿にするためには数値管理が必要不可欠だ。しかし、データドリブンな経営体制をどう作っていくべきかは企業の悩みどころでもある。

杉江氏「前述のとおり、さまざまな切り口からデータを要求されることになるため、どんなデータを集めておけば良いのか迷う企業は多いと思います。そこで我々は『ISO30414』の利用をおすすめしています。これは国際的な人的資本開示のガイドラインで、情報開示企画が11領域49項目に分類されています。適用義務はありませんが、自社にとって重要な項目などを把握する上で参考になると思います」

日本の人的資本経営サイクルを回す コトラの取り組み

日本では現状、人的資本開示への理解・取り組みがまだまだ十分だとは言えない。これに対し、コトラは今後どんな取り組みを行っていくのだろうか。

大西氏「働く人が自分の価値を高めて、お客さんに対してより高い価値を提供できるようになり 、それによって企業の収益力が上がって、自身の給与も上がっていく。人的資本経営においては、このサイクルをつくることが大事だと考えています。

コトラは創業以来、人材紹介のプロとしてこのサイクルを外側から補強するべく、企業がやりたい事業に集中できるよう支援してきました。人材紹介を始めたのは、私自身の経験として働く人が変わると会社も一気に変わることを実感しており、新陳代謝こそが企業の成長に大きく影響すると考えたためです。

それに加え最近始めたのが、タレントマネジメントのコンサルティングです。企業成長には外から人が入ってくる刺激だけではなくて、企業の中にいる人たちの付加価値を高めていくことも必要です。従業員の才能をどのように可視化し、最適に配置してより高みに登っていただくかが重要だと考え、人材紹介とコンサルを両輪として展開しています」

2022年12月には金融業界を対象とした人的資本に関するイベント、「虎の祭典」も開催している。

大西氏「金融機関は長らく、外からの採用よりも中の人材をどう教育するかに重点を置いてきました。しかし最近では、外部人材がもたらす活性化も重要だとする考えが業界内で広まっているんです。外部採用もかなり積極的に行っているのですが、あまり世間に認知されていないため、金融業界、ひいては大企業は前向きにいろいろな人たちを受け入れようとしていますよとPRする場として『虎の祭典』を開催しました。実際に反響もあり、『今までの金融機関のイメージが大きく変わった』『金融業界が社内外に対し門戸を開いていることが理解できた』という声を頂きました」

また、コトラは「人的資本研究会」の立ち上げも予定している。各業界の人が集まり、タレントマネジメントや教育の仕組みなどについて情報交換をすることで、業界全体の営業改善に貢献することが狙いだ。同時に、社外秘のノウハウについて社内で共有するための、個社別の人的資本研究会も構想しているという。

最後に、今後コトラとしてどう企業をサポートしていきたいか尋ねた。

大西氏「まず大きな目標として、日本の給与をあげたいと考えています。もちろん仕事は給与だけではないのですが、給与だけではないと言い続けた結果、欧米との給与格差が大きくなってしまいました。そのため、優秀な人材が給与のいい外資系企業に転職していく構造が20年前から続いています。日本企業はその意味を考え直し、給与を上げていけるようにすべきだと感じています。

弊社はこの問題に対し、タレントマネジメントなどのコンサルティングを通して働く人たちの付加価値を高め、適切に配置し、給与として報いる体制をつくりたいと考えています。そして同時に、プロフェッショナル人材の紹介を通して外部からの刺激を与えるという形でも支援していきたいです。コトラはこの両面から、日本におけるプロフェッショナル人材の育成・盛り上げに貢献していきます」